人の嘆きと神の沈黙

おはようございます。ひたちなか教会の小宮山です。

 苦しい時や、悲しい時。神に祈る。そうした経験をしたことがないでしょうか。苦しい時の神頼みという言葉があります。神に頼ることは、弱いことでも、特殊なことでもなく人間にとって、当たり前のことなのです。


 一生懸命神様に祈る。しかし、まったく反応がない。状況が良くならない。そうしたこともあるのです。神様に祈れば、なんでもすぐに問題がなくなるとは、聖書は教えていないのです。それでは、なにも起こらない時、神様はわたしたちの祈りを聞いてくださらないのでしょうか。それもまた違います。時として、神様は沈黙なさるのです。あえて事を起こさないで、黙ることもあるのです。


 詩編13編の2節には、神の沈黙に耐える人の姿が描かれています。「いつまで、主よ わたしを忘れておられるのか。 いつまで、御顔をわたしから隠しておられるのか。」

 この詩編の作者は、病で苦しんでいたと考えられています。彼は、祈りましたが状況はよくなりません。神は沈黙なさったのです。彼はその沈黙に耐えています。しかし、ただ耐えるだけではありません。彼は、神の沈黙の中から、神の言葉を聞こうとしているのです。沈黙は、時として、雄弁に勝ることもあるのです。


 神が沈黙しているように感じる時。あきらめるのではなく、神様の沈黙というメッセージを聞きましょう。神は言葉だけでなく、沈黙を通しても、わたしたちにお語りになるのです。

お知らせ

  〇6月14日 説教

     「主が右にいます喜び」

      詩編16篇1~11

    

  〇6月21日 説教

 「神の子供たちの栄光への希望」

   ローマ 8:18~25

 

住所

312-0003

茨城県ひたちなか市足崎1474-307

 

TEL

029-272-5017

 

メールでの問い合わせは問い合わせフォームからメッセージをお寄せください

日本キリスト改革派  ひたちなか教会

アクセスカウンター