神様の名前

 

 聖書では神の名を「主」とよんでいます。このお方は目に見えるお方ではなく、その存在は永遠、不変、無限なお方です。そして、天地創造の前から存在され時空を超越されたお方です。さて、旧約聖書では神の名前は、「エロヒム」「ヤハウエ」等と表記されていますが、出エジプト記3:14~15では、「私はある、私はある」というものだと、モーセに対して自己紹介をしています。そして、「これこそ、とこしえに私の名、これこそ、世々に私の呼び名」と申されました。それで、日本語で「主」という神に対する呼びかけをしているのであります。

 

                            イエス・キリストの名

 

 多くの方が、キリスト・イエスは姓名だと誤解されていますが、本名は「イエス・ベン・ヨセフ」つまりヨセフの子イエスであります。イエスとはユダヤではありふれた

名ですが、エレミヤ書33章16節で記されています様に、「主はわれらの救い」と言う意味があります。つまり将来到来するメシアの名は「イエホシュア」「イエス」と預言されていたのです。また、キリストとは「油そそがれた者」と言う意味です。

当時、王・預言者・祭司の任職のしるしは、油の注ぎをもって行われていました。

イエスは、この地上の教会を統治される王、神の言葉を伝える預言者、ご自身を民を救うための犠牲の子羊として献げられた祭司としての三職を果された唯一の神の子であり、人の子でありましたので、キリストという職名が付与されたのであります。ダビデ王は人の子でありながら、この世の王として、預言者として任職された唯一の例外でありました。

 

                                 聖書とは1

 

 日本語では聖書といいますが、何か聖なる書ということではなく、明治維新の時に

宣教師たちが持ち込んだ神とイエスキリストに関わる書物をこのようによんだのであります。本来英語でバイブルと申しますが、その語源はギリシャ語の「ブビリオン」であります。その意味は、「巻物」「命の書」ということです。当時は、神のみ言葉を書いた巻物などは高価で、庶民の手には届きませんでしたし、ほとんどの人は文盲でしたので、神の言葉は預言者や祭司が朗読するのを聞いていたのです。今日のように誰でも読めるようになったのはグーテンべルグの活版印刷術が発明され、ギリシャ語やヘブル語が各国の言葉に翻訳されるようになってからです。英語では、「The Book」と表現されますように「本の中のただ一冊の本」というようにも表現されています。年間世界では2億冊出版されていると言われるように、「永遠のベストセラー」が聖書であります。

 

 

            聖書とは2

 

 旧約聖書39巻は、AD90年にヤムニアで正典と認められましたが、最終的にAD397年にカルタゴ会議において、旧・新約聖書合わせて66巻が正典と決定されました。旧約聖書は、将来到来するメシア(油注がれた者)について証しています。ヨハネ福音書5章39節でイエスご自身が証言されています。「聖書はわたしについて証しするものだ」この時の聖書とは当然新約聖書はまだありませんから旧約聖書を指しています。(ギリシャ語72人訳) また新約聖書はイエスが天に昇られてから十数年後から、多くの人々がイエスの事績、お言葉をまとめ福音書として、また多くの書簡の形として、歴史的経緯等について書き記したものを編纂して新約聖書としました。旧約・新約の「約」とは、古い契約・新しい契約の意味であり、天地創造の時の最初の人と神が契約した「恵みの契約」の進展が一貫として記されています。エレミヤ書33章14節~16節では神は新しい契約の成就としてイエス・キリストの到来を預言しています。これがなんとイエス誕生の600年前でした。

 

 これらの出来事について詳しくお知りになりたい方は是非、教会にお越しください。

 

     ギリシャ語聖書             ヘブル語聖書

                    https://www.youtube.com/watch?v=s1jMBmjVx2w

 

 

                                聖書とは3

 

 聖書は最初から章節はついておりませんでした。10世紀になって、カンタベリー大主教が章を付け、読み易くしたといわれています。節については活版印刷が始まってから、職人が活字を組みやすくするために付けられたといわれています。章節が付いた最初の聖書は、ラテン語ウルガタ訳聖書と言われています。現在の聖書で使われている章節は1560年版のジュネーブ聖書の区分をそのまま踏襲しています。 聖書をたやすく開くためには、「鉄道唱歌・・・汽笛いっせい新橋を・・・」の譜に、「創出レビ、民、申命記・・・」 「マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ伝」と歌詞を付けると簡単に覚えられ、すぐに聖書が開けるようになります。 希望者は、楽譜を差し上げますので牧師までお申し込みください。

 

                              聖書とは4

 

 中世の後半、ラテン語は一部の聖職者や学者だけが読める特権的な言語となり、ラテン語聖書は民衆のものではありませんでした。これを一般民衆が読むことができる言語に翻訳して聖書を民衆に解放しようとした人々がいました。聖書の英語訳を最初に行ったのはジョン・ウィクリフです。これはラテン語からの翻訳で1382年に完成し、また原典から最初に英語に翻訳したのはウィリアム・ティンダルで、1525年に新約聖書を出版しました。これが英語印刷聖書の最初のもので、ティンダルの後継者であり、旧新約聖書の英語訳を完成させたのはカヴァデ-ルでした。(1535年)

イギリスの宗教改革の迫害から逃れてジュネ-ブに渡った学者たちによって翻訳された「ジュネ-ブ聖書」は1560年に出版されこれは、英語の聖書で初めて節の区分の数字が入ったものでした。 マルティン・ルタ-は聖職者や神学者だけが読めるラテン語聖書でなく、ドイツ民衆が読むことができるドイツ語聖書を原典から翻訳しました。ワルトブルク城内で保護されている間に翻訳に従事し、1522年9月に新約聖書「九月聖書」を発行し、旧約と続編は1534年に出版されました。14、15世紀南ドイツやオ-ストリアで民衆の教育のために「貧者の聖書」と呼ばれる絵解き聖書が作られています。清貧の修道士が一般信徒のために作ったというのがその名の由来だといわれています。

 英国王ジェ-ムス1世は従来の英語聖書を改訂した新しい訳の聖書を作ることを要請し、54人の学者によって翻訳されたのが「ジェ-ムス王欽定訳」(キングジェームス訳)であります。1611年に出版され、今日に至るまで最も権威ある英語聖書としての評価を持ち続けています。その後1885年には「英国改訂訳」が、またアメリカでは1901年に「アメリカ標準訳」が出版され、続いて標準訳聖書を改訂した「改訂標準訳」(RSV)が1952年に完成しました。イギリスにおいては、1970年にNew English Bibleが出版され、これは1989年に改訂されRevised English Bible(REV)として広く普及したのであります。

                             

                             聖書とは5

 

 モーセの兄弟であるアロンの子孫である律法学者エズラがバビロンからエルサレム帰国したのが、BC428年でした。当時のエルサレムの状態のひどさと、人心の荒廃を見て彼は神の教えと戒めを再構築し、ユダヤ教の始祖となったのです。イエスキリストが登場される間の400年間は、中間時代とよばれ厳格な律法主義の中におかれたのであります。彼は排他的な民族的律法主義を強調し、異民族の宗教を廃棄し異邦人の女性との結婚も禁止いたしました。その間、BC350年ごろにはヘブル語の正典を当時の国際語であったギリシャ語に翻訳した旧約聖書(72人訳)が編纂されました。しかし、時が経るにつれて厳格なユダヤ教の祭司や律法学者たちは形式的な律法順守を民に強制し、自分たちはおごり高ぶり、主のご意志とはかけ離れて行ったのであります。そして、イエスが登場され、彼らを「マムシの子」と揶揄され、偽善者たちを徹底的に非難し、弱く貧しい人々の苦しみをその愛によって包まれたのであります。多くの民衆はイエスの新しい教えを受け入れ、イエスこそが約束の「神の子メシア」であると信じたのであります。この事が、祭司や律法学者、政治家たちの不興と妬みを招き、彼らはイエスを抹殺する時を周到にうかがっていました。イエスが伝道を開始して3年後の、過ぎ越しの祭りに時にその計画は実行に移されたのであります。民衆の中に潜り込ませていた者たちの、「イエスを殺せ、殺せ、十字架につけろ」という絶叫にあおられた民衆は催眠術にかけられたように、イエスを十字架刑に処する事を受け入れてしまったのです。この一見愚かに見える行動こそ、神がご計画されていた事に外ならなかったのであります。 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」 ヨハネ福音書3:16

この聖なる神のご計画が実現したのであります。

 

この歴史的出来事の前後の事情についてお知りになりたい方は、是非教会に来られてお話しを聞いてください。詳しくお話し致します。

                            

                 聖書とは6

 

 テモテへの手紙Ⅱ 3章16節には、「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をする上に有益です」と記されています。

確かに神の言葉の集大成だからと言って、神が書いたということではなく、神が人の上に聖霊を下され、人の賜物を用いて記されたのであります。旧約の時代には伝承、口伝、詩歌、羊皮紙、石板、動物の骨などに残された文字等を解読し、写字生たちが苦労して神の言葉を転写して文章を保存してきました。また時代が進むに従ってパピルスの繊維を用いた紙に文字として記録したものを、編纂し、修道院の中でやはり写字生たちが、神の言葉を保存してきたのです。その意味では4000年にも及ぶ歴史を経たにも関わらず今日の私たちが聖書を読めると言う事は、神の御業による奇跡と言っても過言ではありますまい。

 日本では、AD1872年にヘボン、ブラウン、グリー宣教師が日本語訳の聖書に取り組み、1879年に新約元訳聖書が完成しました。1887年に旧約元訳聖書が完成しここに旧新合わせた文語体の日本語聖書が日の目を見たのであります。後に、改訳聖書、口語訳聖書、新改訳聖書、共同訳聖書、新共同訳聖書が発刊され、2018年には協会共同訳聖書が発刊される予定であります。また、日本語では標準語、アイヌ語、ケセン語の三種の聖書が発刊されています。世界的には二百数十の言語で聖書が発刊されています。

 今日では、スマートフォン、PC、タブレットでも容易に聖書が読める時代となりました。 神のみ言葉は世界中に広がっているのであり、その恵みを全ての人々が受け取れる時代となったのであります。

             聖書とは7

 

 聖書は旧約聖書39巻、新約聖書27巻からなり、全体から見ると歴史的文書22、

詩文5、預言書18、書簡21によって構成されています。聖書学的にみるとこれらは単に預言者、祭司、学者によって記されたと言うより、普通の人々の中から選ばれた者達を含め、その人々の時代を反映した社会経験や、思想、考え方を反映して約4000年にも渡って聖霊の導きに従って記されて来たのであります。そして、その間その内容は一貫としてつらぬかれており、その意味でも神のみ言葉の集大成と言っても良いのであります。そこに示されている神は不変・永遠・無限なるお方で、同時に人間に対する神の愛、人間の救いについて書かれています。また、聖書は神のご計画の実現について書かれていると同時に、そこに示された神のみ言葉は、地上を歩む人間の信仰と生活の規準となっているのであります。 まだ聖書をお読みになった事が無い方は、是非、聖書を紐解いて下さい。そこに記されている事が、はるか昔のことであるにも関わらず、その意味する内容は正に現代の問題と全く変わっていない事にお気づきになるでしょう。 その意味でも正に聖書は、「本の中の本」なのであります。

 

聖書については、ウェストミンスター信仰告白 講解をご覧下さい。詳しく、解説されております。

 

          聖書 小史

 

BC428年 エズラ帰国  帰国後ユダヤ教成立

BC350年 へブル語旧約聖書がギリシャ語72人訳として翻訳される。

       イエスが学んだ聖書とはこの72人訳である。

BC 6年  イエス誕生

AD28年  イエスの宣教開始

AD30年  イエスの十字架、復活と昇天

AD32年  パウロの回心

AD49年  エルサレム会議

AD59年  パウロ、ペテロ、ローマに到着

AD64年  皇帝ネロの迫害によって、パウロとペテロの殉教

AD90年  ヤムニヤ会議において旧約聖書が正典化される

AD313年 皇帝コンスタンティヌス、キリスト教を国教とする

AD325年 ニケヤ総会議 信条の確定

AD381年 ニケヤコンスタンティヌス信条確定

AD382年 ヒエロニムス ラテン語訳聖書を出す

AD397年 カルタゴ総会議において旧新約聖書が正典化される

AD451年 カルゲドン総会議 信条の確定

 

 

     原始教会

 

原始教会

イエスの直弟子(使徒)たちがユダヤガリラヤの地において伝道活動(布教)を始めたことによってキリスト教の歴史は始まるが、最初の福音書とされる『マルコ福音書』が成立した頃の西暦70年頃以前を、「ユダヤ教イエス派の運動」と呼ぶべきである。同種のして、ユダヤ教とキリスト教の決別が決定的となるのはユダヤ戦争後であり、それまでのキリスト教についてはあくまでもユダヤ教の一派であり、「ユダヤ教のナザレ派」などと呼ばれていた。 

新約聖書の主要な文書が成立したのは西暦150年頃までと考えられており、キリスト教が迫害を経てローマ帝国の領内で広まり、皇帝テオドシウス1世380年国教と定める以前に成立したキリスト教会を「初代教会」または「原始教会」「原始教団」と呼ぶことがある。 

最初の教会、すなわち原始教団はエルサレムに成立したと考えられている。ナザレのイエス十字架にかけられて刑死したのち、その弟子女性たちのあいだで存命時のイエスの強烈の人格的印象が語り継がれ、イエスの生前の予言通り復活した、その姿を見たという体験もまた一つの確信として共有された。継続して集会する最初のキリスト教徒たちのグループが形成されたのはエルサレムであった。そこでは、イエスによって説かれた数々の言葉が絶えず想い起され、彼を「キリスト」(救世主)、「神の子」として崇拝し、その再臨を祈り、待つ礼拝がおこなわれたそのなかには、ペトロヨハネら12人の使徒イエスの兄弟ヤコブらの姿もあったが、かれら自身は自分たちがユダヤ教徒であることをまったく疑っていなかっただろうと考えられる。ユダヤの伝統をふまえて神殿にも詣でていた。しだいに彼らは強固な共同体をつくり、祈り聖餐の初期的な形式が整えられ、一定程度の共同生活も営まれ、また、共有財産の観念も生じて、さらに、集会を維持・継続させていくための決まりも定められていった

こうして形成された原始教団は、当初は原住のユダヤ人ギリシャ語を話すヘレニスト・ユダヤ人から成っていたが、しだいにユダヤ人以外(異邦人)にもひろがる一方、教団の拡大にともない、イエスを直接知らない信者のなかにも教団のなかで指導的な役割をになう者があらわれ、共同体の組織化がはかられた。洗礼癒し悪霊払いなどに加えて、外部に対する施しや奉仕などもなされるようになり、こうした実務を担当する役割として「執事」の職が設けられた 

そして、ディアスポラのユダヤ教徒によるエルサレム教会に対する迫害を契機として、執事ステファノのグループがサマリアシリアに「福音」を伝える宣教の旅に出かけ、ステファノ殉教後はペトロやパウロも異邦人への伝道を精力的におこなって、イエスの教えはエーゲ海周縁の諸都市、さらに、西暦60年頃には帝国の都ローマに達したと考えられる

しかし、教義史Dogmengeschichte)の理解によれば、 

· ガリラヤ周辺にもキリスト教共同体が成立していた。

· エルサレムからユダヤ主義に傾くキリスト者がガラテヤピリピコリントの諸教会に「異なる福音」をもたらし来た。

· イエスの言葉伝承を担った人々がパレスティナからシリアに入り、その一部が共同体を形成したことなどがパウロの手紙や福音書から想定できる。

· ローマのみならずアレクサンドリアにもペテロやパウロとは独立に教会が設立されていたことが『使徒行伝』から推定できる。

· 神秘主義グノーシス主義の立場からキリスト仮現論を説く集団もいた。

このようなことから、原始教会におけるキリスト解釈は統一されているというにはほど遠く、それぞれの集団における教義も異なっていた。 

 

 

 

 

     改革派教会

16世紀、ドイツ・ヴィッテンベルクにおけるマルティン・ルターの宗教改革と同時期に、スイスで最初に教会改革運動に着手した都市は、フルドリッヒ・ツヴィングリの指導したチューリヒであった。結局、ルターとツヴィングリは聖餐式に関して神学的な一致点を見いだせなかったが、それが、対ローマの同じ福音主義に立ちながらも分かたれたルター派と改革派との後の区別に繋がることになる。 

宗教改革第二世代の神学者たち、特にジュネーヴの指導者ジャン・カルヴァンは、信仰告白の一致を目指して尽力したが、晩年にはルターの一派との不一致を決定的なものと自覚するに至っている。しかし、一方でカルヴァンは、ツヴィングリ戦死後の後継者ハインリッヒ・ブリンガーとの神学・信仰告白上の一致に成功し、そこでジュネーヴとチューリッヒが歩みよることとなった。これが、限定された意味では、スイスの改革派教会の起こりであるとも言える。 

また、ジュネーヴやチューリヒをはじめとした改革派諸都市が、それまで以上に亡命者や留学生の集まる国際的な中継地点となっていく経緯(たとえば、カルヴァンもそういった亡命者の一人であった)にも関係があるが、改革派教会には、もともと、亡命者の教会という特徴があった。たとえば、既にカルヴァンの時代に、ジュネーヴの教会がイタリアのピエモンテ谷で迫害に耐えていたワルドー派の人々と公的に結び付いていたことは象徴的なことである。北アメリカ地帯も亡命者が多く最終的に寄り集った地帯である。 

その後フランスのユグノー、イギリスのピューリタン、オランダのゴイセンなど、ルーツ毎に様々な名称で呼ばれた宗教的亡命者は、広い地域に届けられた改革者たちの手紙同様、西欧を中心として、しかし欧州に留まらず、広い範囲にカルヴァンたちの神学を持ち運ぶことになった。イングランドからそのような人々が新大陸に渡ったとき、新天地で最初に出版された書物がジュネーヴ詩篇歌だったことは、後にこの歌が忘れられてしまう時代があることが事実だとしても、アメリカの改革・長老派教会の伝統を考えるうえで意義深いことといえよう。 

なお、狭い意味で、スイスを中心とした大陸の改革教会を「改革派」と呼ぶとすれば、ジュネーヴ・アカデミーで学んだジョン・ノックスが基を築いたスコットランド国教会の系統は「長老派」と呼ばれる。後者は段階的な会議制を(かつて言われてきたように発明はしなかったかもしれないが)「長老制」として発展させたために、大陸の改革派と区別されることがあるのである。 

他の諸国と同様に日本にもプロテスタント教会の宣教師たちが足を踏み入れた19世紀末、その中心を担ったアメリカ人には、改革教会の系統を組むものたちがいた。たとえば、日本最初のプロテスタント教会、日本基督公会・横浜公会(現日本キリスト教会横浜海岸教会)の設立時の指導者は、オランダ系米国改革派教会の宣教師ジェームス・バラである。 

カルヴァンの五特質

1610年オランダ改革派ドルト会議で 

· 人間の全的堕落

· 無条件的選び

· 限定的贖罪

· 不可抗的恩恵

· 聖徒の堅忍

をカルヴァン主義の5つの特質、いわゆるドルト信仰基準として定義し

 

 

 

      

お知らせ

 

〇 11月18日 主日礼拝

説教「逆転の問いかけ」

マルコによる福音書11章27節

~12章12節

21-166,21-475,21-510,545

 

〇 11月25日 主日礼拝

 説教「イエスに対する罠」

マルコによる福音書12章13節~17節

21-149,21-377,21-390,541

 

            公  告

1018年度第二回会員総会

11月25日午後0時45分~

13時30分

於: ひたちなか教会礼拝堂

議題:2019年度予算案

現住陪餐会員はご出席下さい。

            

  Twitter: ひたちなか教会@  

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